連休最終日に熱を出してしまい、今日は会社を休んだのでひさしぶりに日記を書くことにした。
日記を書いていなかった間も仕事遊び関係なく色んな人と会って、色んなことを話したりした。
色んな人と話す中で、わたしの中で1番気になっていたことを今日は書こうと思う。
・尖った発言(行動?)をする人とそれに惹かれている人について
5年くらい前からジャニーズ(旧ジャニーズ?)のアイドルのファンをやっていて、時々気になる投稿があった。
匿名ツールからきた質問に対して、鋭い切り返しをするユーザー宛の「わたしの思っていたことをあなたが言ってくださり、すっきりしました!」というコメントである。
どうして他人の言葉によってすっきりするのだろう?とも思ったし、見ず知らずの人間の言葉で勝手に自分が何か言った気になるなよ!とちょっと怒りたくもなった。
こういうやりとりにはどうして?と思う一方で、自分自身を振り返ってみると、過激な言葉遣いを面白がっている自分もいるなと思う。
たとえば、いわゆる陽キャ的なふるまいをしている人に「あいつは目立ちたいだけ」みたいなヘイトが集まっている時に、自分の心に余裕がある時は「自分のコンプレックスや劣等感に向き合えなくて、他人に矛先を向けてしまう人が叩いているのかも」と想像ができる。
だけど、わたし自身に心の余裕がないと「どうせトイレでぼっち飯してる奴の妬みだろ!」みたいな言い方をしたくなってしまうし、場合によってはそういう言葉遣いをして、笑いを取ろうとしてしまうかもしれない。
過激というか大げさな言葉遣いや表現は正直面白い時もあるし、なんというかある種の中毒性があると思う。
使っている時は周りも笑ってくれたりするし、その場所がSNSだったらいいねとかも集まるのかも。
でも、そういう言葉を使い続けたり、過激な物言いに触れ続けることは、確実に自分の心や体を蝕む思う。
過激な言葉遣い(行動)ばかりを追いかけたくなっている時は、ちょっと立ち止まって自分の心や体が疲れていないか?と問いかけられる余裕を持ちたい。
結局この話に戻ってしまうけれど、自分にやさしくするということは続けていきたいなと思う。
今回はちょっと真面目な話をしてみたよ。
今のところは自分にやさしくして、自分は過激な言葉中毒に気をつける、というところにまとめたけれど、なんでこういう言葉遣いにハマっちゃうのか、とかこの話はもっと掘り下げて書きたいかも。
(高円寺で食べたスパイスカレー)